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20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2004-11-18 第161回国会 衆議院 憲法調査会公聴会 第2号

それは、日中関係の改善に貢献しただけでなく、ピンポン外交と言われますように、歴史的な米中和解にも大きく貢献しました。言うならばそれは、一九四〇年代の後半に占領軍から与えられた平和主義憲法に、日本の社会、日本の市民がみずから新しい命を吹き込んだことであります。実質的には憲法改正に匹敵する大きな事業であったと思います。

江橋崇

1997-03-19 第140回国会 参議院 本会議 第10号

国際政治においても、米中和解、日中国交正常化に始まり、東西冷戦終結、ベルリンの壁の崩壊と大きな変化の連続でございました。  今、二十一世紀を目前にしております。戦争と革命の二十世紀から、平和と人権の世紀を目指さねばなりません。  私は、今後とも、出発の原点であります「大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」との精神を胸に、全力を尽くしてまいります。  

大久保直彦

1996-03-19 第136回国会 参議院 外務委員会アジア・太平洋に関する小委員会 第2号

そういう状況の中でアジア太平洋地域において中国が安定した形で登場してくるという意味で、ニクソン、キッシンジャーのいわゆる多極化政策といいますかバランス・オブ・パワー、勢力均衡政策によって中国へのアプローチがなされ、そして米中和解、接近ということが可能になったわけであります。  これは七二年の段階でございますが、このときに上海コミュニケというものを結んでおります。

井尻秀憲

1991-04-12 第120回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号

そして、七一年米中和解七二年日中国交回復。つまり、脱冷戦には長い歴史アジアにあります。日ソ関係が今焦点になるのもこうした歴史流れから見れば当然であり、日ソという二国間のみならず、地域全体の冷戦終結にとって極めて重要なポイントであると思います。  第二は、この脱冷戦と軌を一にしてアジアが著しい経済成長を遂げたこと。

鈴木佑司

1991-04-02 第120回国会 参議院 外務委員会 第4号

こうした傾向は米中和解と時を同じくする沖縄の本土復帰後も変わってはいないわけです。  しかし、陰りがあるとはいえ最近の米ソ協調路線の中で、太平洋からウラルまでと今大臣盛んにおっしゃいました。次はウラジオストクからサンフランシスコまでというふうな声が聞かれますけれども、アジア太平洋地域における冷戦構造の終えんは期待が高まっているのではないでしょうか。

竹村泰子

1988-10-18 第113回国会 参議院 内閣委員会 第6号

このゴルバチョフ体制における変化というもの、それを冷静に見ておきませんと、かつて米中和解というのが日本頭越しでやられまして日本が置いてきぼりされた、そういう経験がありますね。  それで、ゴルバチョフ体制におけるソ連の変化というものが本物であれば、戦後四十年間の国際政治構造を劇的に変える要因になると思うんです。

小野明

1973-09-23 第71回国会 参議院 本会議 第37号

アジア緊張緩和は、米軍ベトナム撤退米中和解から、つまり、力による封じ込め政策の敗北から始まりました。そして、いま私たちのなすべきことは、この緊張緩和をゆるぎなきものに定着させる努力ではないでしょうか。換言すれば、戦争に備えるための金と物とエネルギーと人を、戦争に備えるのではなく、戦争を防ぎ、戦争をなくすることに集中して使うということが日本国憲法精神であると信じます。

前川旦

1972-04-04 第68回国会 参議院 予算委員会 第4号

しかし、米中和解が一応成立をしても、現にアメリカベトナムでの戦争を、北爆を強化しておる。また、中ソの冷戦は一そう激化しております。このような現状から米中和解世界流れの本質的な変化に直ちにつながるとは私は考えません。しかし、重要なことは、このような流れを活用し、発展させて緊張の全面的な緩和流れの本質的な変化を実現させる契機として有効に作用させることではないかと思うんです。

羽生三七

1971-12-14 第67回国会 衆議院 本会議 第23号

われわれは、言うまでもなく、返還協定に示された沖繩返還の態様が、アジア緊張を激化し、沖繩祖国復帰を機に日本みずからがそのにない手となることが世界軍事戦略的時流に逆行するものであり、また、ニクソンドクトリンによるベトナム、韓国、日本からの米軍の撤兵、ニクソン訪中が、直ちに米中和解につながらないとしても、米中の対話の場を広げ、少なくとも米国みずから緊張緩和を模索する努力を示し始めた中で、日本みずからが

中川嘉美

1971-12-11 第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第12号

米中和解の、実現、中華人民共和国の国連登場、こういうことを見ますと、沖繩返還前提条件が変わっただけに、沖繩返還をめぐる日米関係もまた新たな角度から見直すべきだと、こう考えております。私は、そういう意味で今度の日米会談佐藤総理は臨まれるものであると考えておりますが、御所見を承ります。

田畑金光

1971-09-30 第66回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

そういうようなことで、ここらあたりで長官は、日本安全保障の問題に対して、最小限の自衛措置、これは私も必要だと思いますけれども、最小限度自衛力というものをどのような形で持つべきかということについて、いまの四次防の再検討も必要だし——自主防衛といったって、防衛を拡大するといっても、いままでの冷戦構造のもとで拡大していくのと、あるいは米中和解の状態のもとで拡大していくのと、具体的に変わってくるでしょう

和田耕作

1971-08-10 第66回国会 衆議院 外務委員会 第3号

ところがこのジレンマ米中対決前提のもとにおける矛盾でありジレンマであるわけでございまして、米中和解可能性が出てきて、そうしてかつこの新しい情勢のもとにおいてアメリカ日本に何を期待するかということがまだはっきりしていない。レアード的な対日政策は、新しいアメリカアジア政策のもとにおいて、はたして適合するものかどうかということに大きな疑問があるように思われるわけでございます。

岡部達味

1971-05-17 第65回国会 衆議院 本会議 第31号

特に、今日、中国国際的地位は高く評価されつつあり、米ソ中の核対決時代から共存する時代に、さらに米中和解等により国際緊張は急速に緩和される方向に進んでいるのであります。このような重大な歴史の転換期に立って、いまこそわが国平和国家として、従来の対米従属的色彩を払拭し、外交防衛政策を再検討すべきであると主張するものであります。  

伊藤惣助丸

1971-01-25 第65回国会 衆議院 本会議 第3号

拍手むしろわが国米中和解橋渡しをすることこそ真の平和への貢献だと確信するものでありますが、総理の信念を伺いたいのであります。(拍手)  次に、日米安保並びに防衛問題についてお伺いいたします。  ニクソンドクトリンに基づく昨年十二月の日米安保協議委員会での在日米軍撤退在日米軍基地整理の発表は、アメリカ極東戦略体制と対日政策変化を示すものであります。  

竹入義勝

1971-01-25 第65回国会 衆議院 本会議 第3号

米中和解橋渡しをしろ、こういうお話がありましたが、また、政府としては、米中を含め、すべての国が平和裏に共存することが人類の理想であると考えており、そのため、わが国としても、なし得る限りのあらゆる外交的努力を傾けたい所存であります。なかんずく、アジアにおいては、わが国及び米、中、ソの四カ国が、平和で友好的な関係を樹立することが重要であると考える次第であります。  

佐藤榮作

1970-12-07 第64回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

私は、このままいくならばいつの日にか米中和解が来る、そうすると日本側は取り残されるのじゃないか、そういう点で大きく心配するわけでありますし、外務大臣が言う国益という中にそういう経済問題が入っていなかったわけでありますけれども、いずれにしても国益というものを考えて外交を展開するならば、特に経済的な問題については大きく国益を考えなければならない、そういう観点からいいましても、現在の対中国姿勢に対しては、

伊藤惣助丸

1969-07-29 第61回国会 衆議院 本会議 第69号

すべからく佐藤総理は、勇気をもって中国敵視を基本とした米国アジア政策の変更を求め、わが国米中和解のかけ橋となるよう努力を払うべきであります。(拍手)  佐藤総理は、沖繩祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わらないとの名言を残しましたが、実際に沖繩に残されたものは、核基地戦略爆撃機B52と、毒ガスをはじめとするBC兵器だったのであります。

石田幸四郎

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